男と女の「おかしな!?」ハナシ
あなたの身の回りにも時々起こる、
「これってどうなの?」
「おかしくない?」という話。
このコーナーでは、毎回、
「男と女のちょっとおかしな!?ハナシ」を、つぶやいてもらいます。
女子の授業、男子の授業
今回のつぶやき主は、中学1年生のモモコちゃん。
料理が全くできないおじいちゃんと、
学校の授業について、話しています。
モモコ:おじいちゃんは、全く料理ができないの?
野菜いためぐらい、簡単やん。
真次郎:おじいちゃんの学生時代は、男子は学校で料理を習わなかったんやで。
男子は技術、女子は家庭科というように、分かれていたんや。
慶子 :ママの学生時代もそうよ。
当時は何とも思わなかったけれど、今考えてみれば、
男子と女子で教わることが分かれているなんて、とても変よね。
モモコ:でも、今も分かれている授業があるよ。
武道の時間やけど、男子は柔道、女子は薙刀って決められてるねん。
モモコは、杉本美香選手が大好きだから、柔道がやりたかったのになぁ。
ロンドンオリンピックで銀メダルを取った選手の出身地なのに、
なんで女子は柔道ができないんやろ?
真次郎:なるほど、モモコの言うとおりやなぁ。
未来のオリンピック選手が誕生する可能性を、つぶしているかもなぁ(笑)。
慶子 :でも、ケガが心配だわ。
武道の授業中に、何か大変なことがあったら困るじゃないの。
真次郎:学校でのケガは、女子も男子も、あったら困るのは当然や。
けど、そんなことを言いだしたら、何も出来なくなってしまうんじゃないか?
モモコ:「柔道なんて、やりたくないわ~」って言う女子もたくさんいるよ。
でもなぁ、モモコはちょっとだけ柔道も、やってみたかったなぁ~。
◆モモコのつぶやき・・・
男子の中にも、伊丹がアピールしてる薙刀をやってみたい人はいるだろうし、選択制にすれば良いのになぁ。
希望なんか聞かずに、男女で武道の授業がわけられているのが、やっぱり残念やねんな。
あ~それにしても、杉本選手カッコ良かったよなぁ~。
◆真次郎のつぶやき・・・
やっぱりワシは、未だに料理に抵抗があってなぁ。学校での授業や恩師の言葉の影響が、ワシには大きかったようやなぁ~。しかし、今のこの時代においても、男女で最初からスパッと別れている授業があるなんて、驚いたで。
◆慶子のつぶやき・・・
さっきは「ケガが心配」なんて言ってしまったけど、それは女子に限ったことじゃないわね。
スポーツにはあまり興味の無かったモモコが、実は柔道をやってみたかったなんて、知らなかったわ。
武道の時間は、ほかの学校ではどうなのかしら? 今度、市外の友達に聞いてみよう。
【ミニ知識】
男女別の「技術・家庭科」
第二次世界大戦後の教育改革で、新制中学校に新しく成立した「職業科」は、戦前の農業、工業、商業と芸能科家事とを1つの教科にしたものだった。
昭和22年の学習指導要領家庭科編(試案)では、「男女の性差による区別なく履修することが可能」としている。
ところが、当時は女子の主婦養成教育の色合いが濃く、家庭科関係者の「職業科からの分離・独立」の声により、昭和33年告示の中学校学習指導要領で、「技術・家庭」が新設。
『内容に二系列を設け、男子向きには、工的内容を中心とする系列、女子向きには、家庭科的内容を中心とする系列を学習させる』とされた。
「技術・家庭科」によって、「男子向き」「女子向き」という性別履修が鮮明になり、この枠組みは、平成元年の改訂までの約30 年間続くことになった。
(国立教育政策研究所より)
横からちょっと言わせて
専業主婦もパートも経験した
関西学院大学社会福祉学科教授
今井小の実さん
モモコちゃんと真次郎さんの会話を聞いて、うちの夫も結婚当初はほとんど家事ができなかったことを思い出しました。
今でも我が家の料理は娘や私、ほとんど女子組の担当です。
男女別教育カリキュラムの負の遺産だと内心、憤慨してきましたが、今回のタイトルを見て、はたと気付きました。
パソコン台、玄関の靴置き台など、家庭内の大工系の仕事は、すべて夫に任せてきたことに思い当たったのです。
私の中にも、確実に男女別教科の負の遺産は遺されていて、学校教育の及ぼす影響の大きさを改めて思い知らされました。
子ども時代に「教科」別という形で植え付けられた性別役割分業は、その後の人生にも深く浸透して、知らず知らずのうちにジェンダー差別を再生産してしまい、その人の生き方を窮屈にしたり、選択を狭めてしまいます。
男女共同参画社会基本法がある現在においても、モモコちゃんの学校のように、柔道は男子という教育現場も多いでしょう。
そう言えば、ようやく全日本柔道連盟の新体制が発表されました。
この半年あまりで反社会的な問題が次々と明るみに出た柔道界ですが、その先陣をきったのが女子選手たちによる代表指導者の暴力や暴言への抗議で、その後、連盟理事のセクハラ問題も発覚しました。
この一連の不祥事対して、当初、男性陣の反応はあまりにも鈍く、事態を深刻に受け止めた女性たちのリアクションとは対照的で、問題の根深さの一端を見た思いがしました。
その根っこに、「柔道は男の世界」という価値観があったとしたら、その出発点は学校教育の現場ということにならないでしょうか。