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疾走れ!西宮ストークス

B1昇格のキーマン!ストークスに欠かせない同級生ルーキーコンビ

西宮ストークス 谷口淳選手(#0)&石塚裕也選手(#27)

石塚裕也選手(右)<br>谷口淳選手(左)
石塚裕也選手(右)
谷口淳選手(左)
現在、中地区首位争いを展開している西宮ストークス。
今シーズンの西宮ストークスのインサイドを支えているのが、谷口淳選手(#0)と石塚裕也選手(#27)。ルーキーながら、力強いリバウンドやアグレッシブなディフェンス、時には2mを超える外国人選手とのマッチアップもこなすなど、いまやストークスに欠かすことのできないプレーヤー。
実は谷口選手と石塚選手は桜宮高校(大阪市都島区)の同級生。B1昇格を射程圏内としているストークスの躍進に大きく貢献しているルーキーコンビ。今回、中学時代はバスケットをしていたというまいぷれ新人記者のヤッシーが初めて密着インタビューを行った!!

小4のときで170cmだった|谷口選手

いまやストークスの絶対的な存在にまでなった両選手。そんな2人がバスケットを始めたのは、谷口選手が小学校4年生、石塚選手が中学2年生。そのきっかけとは一体。
192cmという体格に加え俊敏さやリバウンドなどハッスルプレーで盛り立てる谷口選手。
192cmという体格に加え俊敏さやリバウンドなどハッスルプレーで盛り立てる谷口選手。
―バスケットを始めたのはいつですか
谷口淳選手(以下、谷口):「バスケットを始めたのは小学4年生のときです。同じクラスになった友達が大きい子を探していたんです。当時僕は170cmほどあったんです。『いいから来い』と言われて始めたのがきっかけです。」

石塚裕也選手(以下、石塚):「僕は中学2年の途中からです。それまでは野球をしていて、ポジションはキャッチャーはじめセカンドとピッチャー以外はすべてやりました。バスケットは友達や先輩から一緒にやろうといわれて始めました。」

高校の時から身体能力には自信がありました|石塚選手

桜宮高校に進学した谷口・石塚両選手。高校時代はウインターカップベスト16やインターハイ出場など、大阪府内では負けを知ることなく華やかな成績を残す。当時のことを振り返りながらお互いの印象などを聞いた。
石塚選手は持ち前の身体能力を活かしてダンクも決める。
石塚選手は持ち前の身体能力を活かしてダンクも決める。
―高校入学当初のお互いの印象は
石塚:「入った当初、(谷口選手は)上手いなと思いました。大きいのにディフェンスとかで動ける分、ガードやフォワードにもついていけていたので、真似できるところは真似しようかなと思っていました。」

谷口:「(石塚選手は)中学から始めているというのもあって荒削りなところもありましたが、僕にはない身体能力がすごかったと強烈に覚えていますね。最初の練習の時に会った頃から凄く身体能力が高くて、桜宮は練習量が多いので、裕也とどんどん一緒に練習すればもっとうまくなるやろうと思いました。」

石塚:「当時から身体能力には自信がありました。その時からずっと色んなスポーツで、学校内でも上の方でした。」

谷口:「『痩せたい』というのがバスケットを始めた理由の一つでした。そこから腕立てや腹筋とかをむちゃくちゃするようになって、それで体幹が鍛えられるようになったと思います。あと小学校の時、練習をしている人たちもみんな小さくて負けん気が強くて、彼らと同じことをしていたから、この身体の大きさでこんなにできる人っておらへんのかなと、高校の時にふと思いました。」

天日コーチ、実は”近所のおっちゃん”なんです|谷口選手

高校卒業後、谷口選手は同志社大学、石塚選手は立命館大学へそれぞれ進学。大学からいよいよプロの道へ・・・というわけではなかった。なんと石塚選手は大学3年の時にバスケット部を退部。大阪のクラブチーム「大阪ディノニクス」に入る。一方、谷口選手は大学卒業後、大手企業に就職を決め営業に奔走していた。そして石塚選手の入団が発表されたのはB.LEAGUE開幕の2ヶ月前、谷口選手に至ってはたった3週間ほど前。プロ入りへの劇的な展開となる経緯を聞いてみた。
ストークスを率いる天日謙作コーチ
ストークスを率いる天日謙作コーチ
―社会人と実業団を経験して、プロを志したきっかけは
石塚:「僕はディノ二クスに入ってから考えるようになりました。チームに元プロ選手もいたんですが、一度目指してみたら?と言われたのもあって、そこからどんどん考え出していました。
大学3年生のときに立命館の部活をやめたんです。その次の年にはディノ二クスでプレーさせてもらっていました。その年に『3×3』という新しい3対3のプロができて、そこにも加盟させてもらっていました。そこからなので、プロを意識したのは大学4年生のころですね。」

谷口:「正直、自分がこうなるとは思っていなかったんです。大学を選んだのも就職に有利かなと思って選んだんです。関東に行かなかったのもそこまでバスケットに注力するつもりもなく、家も近いので同志社を選んだんです。でも中途半端にやるのは嫌だったので、同志社なりにバスケットをして、そして就職しました。
就職後、バスケットとは1年半ほど離れていましたが、1年半のなかで毎日『バスケット好きやな』と感じていました。実は天日謙作コーチは地元が同じで小学校のころから知っていて、”近所のおっちゃん”だったんです。大阪エヴェッサが優勝した時もTVでみて『近所のおっちゃんすごいな』と思いながら憧れていました。高校の時もこの人に呼ばれたいなと思いながらプレーをしていました。そんな天日コーチから、『来てくれへんか?』と言われたんです。今まで仕事をしながら、『バスケットが好き』という気持ちを抱き続けていました。大学の時も『関東に行けばよかった』と思うこともありました。なのでここからもう1回死に物狂いでやってみたら、自分が諦めきれていなかったものが見えるんじゃないのかなと思って、その時お話をいただいてプロになろうと思いました。」

―天日コーチからお話をいただいたのはいつですか
谷口:「昨年の7月ごろでした。で、9月末開幕と(笑)仕事を辞めて来いと言われました。仕事も急な話の中で上司に色々説明したら理解いただき応援してくれるようになりました。営業をしていて得意先もあったので、引き継ぎもあり大変でした。」

―そして晴れてプロへ
谷口:「考える時間が少なかったんですが、これが天日コーチでなかったら信用できていなかったなと思います。高橋哲也コーチ(※1)のことも昔からずっと知ってましたし、そこは自分が早く決断できた理由だったと思います。あの2人でなかったら僕は確実に会社に残ったまま持て余していたと思います。」

―石塚選手はトライアウトで
石塚:「自分で調べて参加しました。青森ワッツの井上大志選手が大阪にいるときに一緒に練習とかをしていて、そして一緒に受けたんです。僕は『関西でやりたい』という気持ちがあって、西宮と奈良の2チームを受けました。それで受けてみて結果次第かなと思っていました。」
※1・・・高橋哲也コーチの「高」は、はしご高です。

淳はいじられキャラですが高校の時は真逆でした(笑)|石塚選手

劇的な展開ののち、ついに西宮ストークスの一員となった両選手。B.LEAGUE開幕元年かつルーキーシーズンに挑み続ける両選手に、ストークスのチームのことやチームの雰囲気、ホームタウンである西宮のイメージなどについて聞いてみた。
エース・谷選手からアドバイスをもらう谷口選手。<br>すっかりチームに定着したようだ。
エース・谷選手からアドバイスをもらう谷口選手。
すっかりチームに定着したようだ。
―入ったときのストークスの印象は
石塚:「しんどいなと聞いていたので、また一から体力を戻さないといけないと思いました(笑)
あと、ディフェンスから走ってブレイクで得点につなげる。守ればおのずとロースコアでも勝てる見込みが出てくる。そのスタイルは高校の時と似ているかなと思います。」

谷口:「バスケット的には僕らが教えてもらってきた『THEバスケット』をより高いレベルでやっているなと感じました。その分、1年半のブランクがあっても追いつく余地を感じたのを、最初に天日コーチのバスケットを聞いて思いました。
チームの雰囲気も”関西らしい”受け入れ方。それにすごく助けられました。僕が入ったときには裕也はもうすでに馴染んでいて、僕はあとから合流したところ、あらゆる方向からいじられる(笑)それも早く馴染めるようにという温かく愛情を感じるようないじりです。それに、最初の頃は1年半のブランクがあって、自分の練習にも付き合ってもらえたりもしました。
このチームでなかったらやっていけてたかな?と思えるくらい、すごく皆さんに感謝しています。」

―コーチ陣も関西らしいですか
谷口:「僕らがふざけているのも、傍で『やってるやってる』と笑いながら見守ってくれています。」

―谷口選手がいじられているのを見た印象を石塚選手は
石塚:「僕は(谷口選手より)早めに来て馴染めていたのですが、淳はすっごいいじられてるな~と(笑)選手からはもちろんなんですが、チームスタッフからもだんだんいじられるようになってきて、『あ、馴染めてきたな』と思いましたね(笑)」

―高校の時もいじられキャラで
石塚:「真逆ですね。全然いじられないキャラで。」
谷口:「それは大学から就活や社会人の経験があったので、『いじられて馴染む』という方法をそこで身に付けていました(笑)
高校の時は結構尖っていました。色々選抜とかも入って、プライドとかあったんですが、そこは成長したところかなと。」

―石塚選手はずっとクールなキャラで
石塚:「僕はずっとそのまま。のほほんとしていて。」
谷口:「でも全然社交的でないわけではなく、しゃべりかけたら普通に話しますよ。」

―ホームタウン・西宮の街のイメージは
石塚:「西宮となると、やっぱり甲子園ですね。高校野球とかもやっているので、そこが野球をやっていた人間からすればそのイメージが強いですね。」

谷口:「関学(関西学院大学)のイメージで、小洒落ているなと。僕は田舎出身なので。人も甲子園があってコテコテなイメージもあったんですが、お洒落なイメージで住んでいて落ち着かないのかな?と(笑)僕はもうちょっと大阪みたいに空気が汚い方がいいのかなと。」
これから先、マッチアップしたいのは「あの」選手!?
シーズンを通して、お互いのことはどう思っているのか・・・

↓↓↓2ページ目に続く↓↓↓